自民党の「異端児」と称されてきた河野太郎行政改革相がトップの座をめざして動き出した。党のしがらみに縛られぬものいいは、時にハレーションを生んできた。持論としてきた政策の「封印」が吉と出るか凶と出るか。これから続く総裁選レースでふるいにかけられる。
10日夕、国会内で開かれた河野氏の出馬記者会見。自身の長所を問われた河野氏は、「実行力、突破力は誰にも引けを取らないと思っている」などと胸を張った一方で、短所についてはやや苦笑交じりにこう答えた。
「様々な仲間からきょうも色々ご指摘をいただきましたので、そうしたことをしっかり学びながら前へ進んでいきたい」
祖父に河野一郎元農相、父に党総裁を務めた洋平氏という自民党の実力者の家系に育った河野氏。「河野ブランド」を背に、歯にきぬ着せぬ言動で、時に物議を醸すこともしばしばの政治人生だった。
総裁選に初挑戦したのは、自民党が野党に転落した2009年。河野氏は、森喜朗元首相ら党重鎮を名指しで批判。「あしき体質を引きずっている人はベンチに入れるべきではない」と言い放った。世代交代や脱派閥を掲げたが、谷垣禎一氏に及ばなかった。
その後も、「脱原発」を掲げて党内に波紋を呼び、防衛相時代には陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備計画をめぐり、十分な根回し無しに撤回を表明して混乱を生んだ。外相時代などには自らの言動が反発を受け、度々陳謝に追い込まれた。こうした政治姿勢に、党ベテランらには河野氏への強い忌避感が残る。
今回の総裁選で、衆院選を間近に控える党内の中堅・若手には、報道各社の世論調査で「次の首相」の上位に入る河野氏の出馬を望む声が多かった一方、所属する麻生派幹部らには「政策が極端だ」「総合的な判断ができるのか」などと、政権運営を不安視する声が根強かった。
ただ、本気で「首相の座」を狙うには、派閥の支援が欠かせない。河野氏は前回立候補した総裁選とは打って変わって、「現実路線」にかじを切る。
原文出處 朝日新聞