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中国の謎の組織を張り込んだ 香港支配の黒幕たちを尾行してみると


6月上旬、私は香港で張り込みをしていた。

香港島の北西部、アワビやフカヒレなどを扱う乾物店街の近く。夜になると、雑居ビルの出入り口付近や、信号機の柱の陰から、ガラス張りのホテルをじっと見ていた。

ここは「香港国家安全維持公署」と言われる中国政府の出先機関の職員が宿舎にしている場所だった。

香港では、昨年6月30日に中国に反体制的な動きを取り締まる香港国家安全維持法(国安法)が施行されてから、香港警察によって多くの民主派が逮捕されていた。公署は、その厳しい取り締まりの背後にある司令塔のような存在だといわれていた。

香港社会を激変させた公署とは、どんな組織なのか――。国安法施行から1年にあたり、私は公署の実態について書いてみたいと思っていた。でも、香港に新しくつくられた中国政府の組織はベールに包まれ、具体的な役割も、どんな人が何人くらい働いているのかも、情報がなかった。香港メディアもほとんど報じていなかった。

地元メディアもなかなか近づけない組織に、外国人が迫るのは難しいだろう。だけど一部分でも垣間見られれば、少し視界は開けるかもしれない。そんな気持ちで、宿舎になっているホテルの出入りを観察していた。

香港で公署に関する取材を始めたのは、その約1週間前の5月末のこと。新型コロナウイルス対策の移動制限によって、広州から香港になかなか入れないでいたが、ようやく2週間の隔離を終え、真っ先に唯一の手がかりだった公署の本部に向かった。

タクシーに飛び乗って

日曜日の午後だった。公署が全棟を借り上げ、本部としている33階建ての「メトロパークホテル」前に行くと、黒いサングラスをかけ、青い服に黒いズボン姿の男たちが2人組みで警備していた。軍の部隊のような深緑の服を着て、銃と催涙スプレーを腰につけた「特務警察」も周囲の様子をうかがっている。

公署は、香港きっての繁華街、銅鑼湾(コーズウェイベイ)のはずれにある。デパートやレストラン、雑貨店などが立ち並ぶ銅鑼湾の中心部は、反政府デモが相次いだ2019年のころとは違い、平穏さが戻り、買い物客でにぎわう。しかし、中国の国章が掲げられた公署の周辺だけは、ほかの場所とは異なる空気が流れていた。

実は、私は公署が入るホテルに2年前、泊まったことがあった。全面ガラス張りで、チェックインカウンターのある2階まで伸びるエスカレーターが、1階エントランスの外からもよく見えた。それが今は、1、2階のガラス部分に白いアクリル板が貼られ、写真を撮ろうとすると職務質問を受け、中の様子はうかがい知れない「不透明な建物」になってしまっていた。

ホテルはビクトリア公園を一望できる場所にある。公園は、民主派による反政府デモの出発点で、6月4日に毎年開かれてきた天安門事件追悼集会が開かれる場所でもあった。私が宿泊したのも、追悼集会の様子を上層階から見るためだった。それがいまは逆に、公園に集まる民主派や記者たちを、公署の職員が見下ろしているかと思うと、皮肉なものである。

この日からしばらく、近くの住民のふりをして公署の前を行き来して観察することにした。法律に触れる行為をしないことはもちろんのこと、施設の敷地内に入ったり、相手を刺激したりしないよう細心の注意を払うことにした。

ある夜、公署から出てきた男たちが、マイクロバスに乗り込むのが見えた。午後8時。仕事を終えて、帰宅するのだろう。

原文出處 朝日新聞