みなに長く愛されてきた「たまごかけごはん」を最初に食べたのは誰なのか。究極のシンプル食に、熱い愛情を注ぐ「聖地」を訪ねました。
北海道、沖縄、海外からも
黄色地に赤で「たまごかけごはん」と染め抜かれた幟(のぼり)が、風にはためきながら丘の上へと続いている。この坂をのぼれば伝説のたまごかけごはんが食べられる――。
東京からのぞみに乗って岡山まで3時間強、さらに車で山あいの国道を北上すること50キロ1時間半、計5時間かけて、岡山県美咲(みさき)町(ちょう)に来た。一直線に元祖たまごかけごはんの店といわれる「食堂かめっち。」へ向かう。所要5時間なんてざら。北海道や沖縄から、コロナ禍以前は海外からも人がここを目指していた。
「お待たせしました。どうぞ!」。たまごかけごはんが来た。
いよいよか、と高まる思いと、たかがたまごかけじゃないか、という相反する気持ちが絡み合う。湯気の立つ白飯の中央にくぼみをつくり、コンコンと赤玉を割り入れた。柔肌のようなつやつやの卵白にぷるるんと落ちた黄色が映える。とろっとろの黄身を箸の先で破り、ごはんと絡め、だししょうゆを回し入れるころには、もう冷静さを失っていたように思う。一口ほおばると体に添うように流れ込んでいく。おいしい。来てよかった。ごはん、たまごのおかわり自由。止まらない。特製のシソだれ、ジンジャーしょうゆと味を変えながら、4杯をたいらげていた。
家で食べるものとは明らかにランクの違う味のふくらみと深みを求め、人口1万3千人の町の店に開店から13年で約95万人が訪れた。なぜここが人々を魅了し、たまごかけごはんの「聖地」とされるのか。
原文出處 朝日新聞