新潟市中央区出身で日本を代表する映画評論家の佐藤忠男(さとう・ただお、本名飯利忠男=いいり・ただお)さんが17日午後6時40分、胆のうがんのため死去した。91歳。葬儀は近親者で営んだ。
海軍の少年兵として終戦を迎えた。戦後に見た米国映画の華やかで楽しげな世界に感動し、新潟市で電電公社などに勤務しながら、映画雑誌への評論の投稿を重ねた。注目されて上京し、雑誌「映画評論」「思想の科学」の編集長を務めた。
1970年代後半、当時はほとんど知られていなかった東南アジアなどの映画を発掘。80年代以降、国内外に紹介する取り組みをライフワークとした。
「日本映画史」(全4巻)、「黒澤明の世界」など多数の著書を発表。日本映画学校(現・日本映画大)の学校長などを歴任して後進育成に力を注ぎ、新潟市の安吾賞の推薦人にも名を連ねた。旭日小綬章のほか、2019年には文化功労者に選ばれた。
11年4月からは本紙朝刊に映画評「週刊シネマスコープ」を連載。20年1月から7月まで、コラム「映画と来た道」を執筆した。
平易な語り口で映画の魅力を発信し続けるとともに、アジア映画研究の第一人者として欧米以外の映画に光を当て、国際交流に努めた功績は高く評価されている。文化功労者に決まった後、新潟日報社の取材に「映画は世界がすてきだということを教えてくれる。評論執筆はそのことを広く知らせる職業」と語っていた。
◆映画へ人へ愛あふれ 県内関係者悼む
「映画評論は、見る人が自分なりの答えを探す手掛かりとなるように」-。新潟市出身の映画評論家佐藤忠男さんは、生涯映画を愛し、魅力を伝え続けた。映画を見る人、作る人を支え続けた歩みに、家族や県内の映画関係者から悼む声と感謝の言葉が聞かれた。
近年、佐藤さんの仕事をサポートしためいの林友実子さん(46)=横浜市=によると、佐藤さんは胆のうがんを患いながらも、ことし1月半ばまで評論を書き続けた。
「常に自分に問い掛け、考え抜いて言葉をつづっていた」と林さん。「批判したり、押し付けたりするのではなく、人それぞれの考えでいいんだよという広い心で、映画にも人にも向き合っていた」と佐藤さんのまなざしを振り返った。
講演などで佐藤さんが訪れた新潟市中央区の市民映画館「シネ・ウインド」支配人の井上経久さん(54)は「映画評論のパイオニア。日本映画学校や日本映画大学を通じて、後進の指導にも努め、日本映画界を長い間、サポートしていただいた」と功績をたたえる。
佐藤さんと長年の付き合いがある同館代表の斎藤正行さん(72)は昨年11月、佐藤さんが帰郷した際にも親交を深めた。「お元気そうだったが、新潟に来るのは最後という思いがあったかもしれない」と語る。「佐藤さんの仕事を継承していくのが残された者の務め」と悼んだ。
原文出處 新潟日報