批評家の東浩紀さんが近年、「家族」という概念の検討に取り組んでいる。2017年の話題作「観光客の哲学」では後半部分がまるまる家族の持つ哲学的な可能性についての考察だったし、昨年秋には続編的な論考も発表した。ただ、家族という言葉には保守的なイメージがあり、リベラル派が警戒もしてきた。なぜ今、家族を考えるのか。じっくり聞いてみた。
――代表作とも呼ばれる2017年の著書「観光客の哲学」は2部に分かれていました。第1部は観光客の持つ哲学的な可能性の追求でしたが、第2部の題は意外にも「家族の哲学」でした。家族はいつから主要な関心テーマになったのですか。
「ずっと前からだった気がします。僕は欧州の思想を専門にしてきましたが、欧州の哲学っていつも大人のことばかり考えているなあと思ってきました。社会の中には必ず子どもがいるし、赤ん坊が生まれるというプロセスがあるのに、と」
「大人の市民たちが集まるものとして『社会』を考える欧州の哲学に違和感がありました。古代ギリシャのプラトンが子どもを国家で共有する考えを提起して家族制を否定したことは有名ですが、家族が子を育てることの意味を哲学者は深く検討してこなかったと思います。『クォンタム・ファミリーズ』という名の小説を僕が書いたのは今から十数年前ですが、あの題も直訳すれば量子家族です」
――なぜ今、家族を根底的に考えたいと思ったのですか。
「『観光客の哲学』の第1部で僕は、友と敵を分けてはいけないという話をしています。政治が友と敵の観念的な対立に陥ってしまっている中で、どうしたらそれを抜け出せるかが重要テーマだと思ったからです」
「第2部でなぜ家族の話をしたかというと、人間は友と敵を分けるものだからであり、友と敵を分ける最も強力な原理が家族だからです。『家族は助ける、家族でないものは助けない』という原理で、国家が移民や難民の排除を正当化する際にもそれが働いています。家族という概念がそのような機能を果たしている状況をどうにか変えられないか、と考えました」
原文出處 朝日新聞