很感謝北師美的邀請能夠參與《甘露水》修復計畫分享!林曼麗董事長跟修復計畫的森純一教授的分享十分精彩,能感受到100年前的年輕藝術家黃土水的熱情、努力與才華。
從日本來的修復專家森教授認為:黃土水的老師是高村光雲,所以他學到的技術和精神是日本的傳統寫實木彫美學,也受到如羅丹般的西洋寫實技巧,而《甘露水》的表現,正是東方與西方的完全融合。《甘露水》的眼晴是“半眼”,宛如佛像,頭髮則讓人想起觀音像,但她的下巴往上,充滿自信,與東方美學傳統迥異!
當時,黃土水還是個窮學生,用的石材較便宜,是“建材用途”的大理石,不那麼雪白,且有一層層咖啡色,但我覺得,這部分也非常美,有個性,好似《甘露水》經過整整一百年,仍主張著自己的存在!
有幸與《甘露水》相遇,我們心中充滿感謝,更感謝台中張家二代,一直用心呵護著「她」。
台湾を代表する彫刻家である黄土水の作品《甘露水》の修復過程のメディアお披露目にお招き頂きました。
台湾人として初めて東京美術学校(現東京藝大)に留学し、初めて官展に入選した黃土水。学校卒業後は池袋に住み彫刻家として皇族、久邇宮邦彦王の胸像をつくるなど活躍しましたが、35歳で夭折しました。
この《甘露水》は第三回帝展に入選し、台湾に送られ台湾教育会館(現二二八記念館)に展示されていましたが、戦後に行方不明になっていた幻の作品。
一時は台中駅に放置されていたのを、台中の張さんという医師の一家が戒厳令下で家に隠し2代に渡って守ってきたところ、昨年から今年にかけて北師美で行われた展覧会《不朽の青春》で同じく黃土水幻の少女像《ひさ子さん》が日の目を見たことを知り、北師美術館の林曼麗館長に持ち込まれました。それは奇しくもこの《甘露水》が完成して発表された1921年から、百年後の今年のはなし。
百年の歳月を過ごしてきた《甘露水》は経年劣化だけでなく、インクを掛けられたりなど、台湾の苦難の歴史をその身体に残していました。
そして、修復を担当されている修復師の森純一さんのお話がとても面白かったです。
例えば使用されている大理石はイタリアはカララ山のものですが、学生の身分だったのでお金がなく、彫刻用でなく建材用の安い大理石を使っていて、色味が黄色いのもそのせいだということ。
そうした建材用大理石は彫刻用のものより硬さにばらつきがあり、かなり加工も難しいはずなのに、そんな影響を全く感じさせないこと。
黃土水は高村光雲や北村西望を師に持ち、木彫から入り東洋的な彫刻を学んだが、時代的にロダンといった西洋彫刻の意識が強く入ってきており、それらの融合的作品であること。
確かに像は仏像などに見られる半眼で髪の毛の表現は観音像のようでありながら、その顎は上を向いて、女性として、人間としての自信や意識を感じさせます。
陳澄波の《東台湾臨海道路》といい、今このときを待って現れたような台湾の偉大なアーティストたちの作品が発掘される時代に立ち会えて、本当に幸せに思います。
原文出處 栖來光